人を惹き付けるのは文章か、その書き手か
ひきつけられる文章とはいったい何だろう。
人を惹きつける文章力はいつの時代も憧れられ、仕事にも役立つだろう。まさしくそんなちやほやされる文章力をもとめてブログを始めたわけだが。
僕は日常生活を過ごす中でこんなことを思うことが多い。
話が面白いとか、ギャグが面白いかはその話し手によるところが多いのではないか、と。
例えば僕が、カラオケでのどをつぶした友人に、「いや、We Are The Worldのブルーススプリングスティーンか!!!」と突っ込んだとする。(シンプルにつっこみがつまらんとかいう虚言は置いといて)
友人は笑うだろうか。まあ理解が出来れば笑ってくれる人もいるだろう(そういうひとを僕は老後に支援していきたい)
しかし間違いなく、松本人志が「いや、We Are The Worldのブルーススプリングスティーンか!!!」といったほうが何倍も笑いを生むだろう。内容がわかっていないひとでさえ、その言い切りの良さと松本人志という存在から笑ってしまうに違いない。
別にそのことを批判したいのではない、僕も松本人志で笑ってしまう人間だからだ。普段あまり面白いと思わない人がいったボケに対してはうまくつっこめなかったり笑えなかったりするが、そのボケを普段から面白い人が一字一句そのまま言ったら大爆笑して必死に突っ込むに違いない。
なぜなんだろう、先入観だろうか。また松本人志で笑ってしまうことがあれば考えてみよう。
だいぶうまくいったボケ、つっこみがおもったほど評価を得ず、「しょっぺえボケだなあほんだら!」とおもった他の人の発言が大爆笑をかっさらっていく。おかしな世界。いっそぼけたり突っ込んだりするときには毎回声色を変えて匿名性を高めてはどうか。
あれ、そのことを批判したい人間になってしまった。
でも文章の場合、そういった人による評価の違いが小さいように思えるのは自分だけだろうか。名前も知らないライターの書いた文章をいつのましか読み終わっている自分もいるし、文章の神様、文章の生まれ変わり(!)が書いたものでも合わないものがある。
それもどうしてだろう。なんかすぐ思いつきそうではあるが。
最近サングラスを買おうか迷っている。
「いや、We Are The Worldのスティービーワンダーか!!!」
ただネタが悪くて笑ってもらえないのかもしれない。